親の介護をしないとダメですか? 1 【PR】
日本人のほとんどが一次産業を生業とし大家族であった頃、老人は家族と集落で守ってきた。年老いた親は長男の嫁が世話することが当然でした。
ソレしかなかった。
終戦後、都会に産業を担う会社がどんどん出来、あるいは平和産業にシフトチェンジして蘇り、成長し、ある時点で労働者の数が足りなくなった。
親から子供を剥がしとるような政策が必要となります。
高い賃金と社会的身分(有名大学⇒有名企業)、そして社会保障制度がこの時生まれたのです。
ソレラによって、地方の子供たちは都会の会社に吸い上げられ、老いた親を守ってきた若者は故郷を離れ、代わりに自分の老後を社会保障で支える仕組みを手に入れます。
農家などの個人事業者の場合、持ち家で子供が世話をしてくれなくては老後を生きられない。その年金額でも昔の大家族であればしのげた。介護に費用は生まれなかった。
でも、今はかなり様子が変わっています。
働き手の仕事、マイホームのローン、子供の教育費、上がらない賃金、どの国も経験した事がない超高齢化社会。
「しくみ」も「家族の中身」もかなり変わってしまっても、人の心はなかなか変われない。
「年老いた親は長男の嫁が世話することが当然であった。」時と変わり映えしない心情が未だにあります。
親の面倒を子供が見るほうが、施設の他人に見せるよりは良いと思っている、のではないでしょうか?
「老後の親は家族でみる・・・」となんとなく感じている。
「剥がしとられた」後の子供達は、「剥がしとられた」とは知らされず知らず、いまだに大家族の頃のような人情と世間体で何とかしようと考えている。
変ったのだから、ソコも変わっていくしかないのに。
私の場合。
父が急死した後、母は実家で一人で暮らしていました。同じ県内に住む私は、一人で通院できなくなった母の付き添いで病院の行き来に毎月、重なるときは毎週タクシーに同乗してきました。
父の死から5年後、「室内を杖を突いて歩いている・・」と母から聞いた叔母は、兄や私のサポートが足りないのではと心配していたけれど、その頃の母を心配したことはありませんでした。
「まだ、大丈夫だ!」としっかり観察していたからです。
そして、決して楽ではない厳しい自分の仕事。徹夜勤務を終えた足で実家へ向かい母の通院に付き添う。担当医師の予約の空きは私の都合に合わせてはくれません。
リーマンンショックの翌年に失職した私にとって、今の仕事も生活拠点も変える事はできない。
苦労話しをしたいのではなく、親を見捨てるほど薄情でもない、と自分自身思っています。
母は60歳代後半に背骨の圧迫骨折をしています。それから、整形外科に通院して近所のリハビリ施設にも通い、週2回室内清掃をヘルパーさんに頼みながらも一人で暮らしていました。
用事がなくとも毎週のように母の様子を確認する。
そんなある日、ベッドから起床できなくなったと電話が入った。
ただ事ではない。
実家に急行する。
担当のケアマネージャーさんが対策を考えている。近所のリハビリ施設のスタッフに電話して母を起してもらいました。
感謝。つづきます。
投稿者プロフィール

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埼玉県中部から湘南新宿ラインを使って東京都心に勤めています。親の介護体験はありません。
自転車で10分程の老人ホームに住む母に、週2回程度、手料理を持参したり差し入れや病院の通院の付き添いで訪問しています。
母が老人ホームに移り住むタイミングで近くに引っ越しました。通勤時間は長くなりましたが、自分の時間が作れました。
左の写真の絵は私が描いた絵ではありません。
超多忙な時期に自分を取り戻すかのような思いで購入しました。日本画家東山魁夷の「道」の複製です。とっても好きな絵です。人の人生のよう。
忙しいからこそ、絵画を鑑賞したくなる時があります。アンバランスでどこか不足した栄養素を補うような本能で、美を欲するのを感じるからなのでしょう。
しっかり働き、自分の時間を大切に、そして、親の助け手でもある。恩返しする。これまでも、これからも・・・。








